ポストコロナを迎えた飲食業の動き、「ブルワリーパブ」がコロナ禍を乗り越え活況を呈している理由とは?
2022.07.11
飲食業ではコロナ禍にあって「ブルワリーパブ」が活況を呈している。ブルワリーパブとは、ブルワリー(ビール醸造施設)を持ったパブ(酒場)のことだ。
日本におけるクラフトビールは1994年4月の酒税法改正、いわゆる「地ビール解禁」によって製造が始まった。これには村おこし運動的な要素も加わり「地ビールブーム」を巻き起こした。
その後一時期沈静化したが2000年の後半から再び注目されるようになった。地ビールという名称は「クラフトビール」に取って代わった。
クラフトビール人気のポイントは大手メーカーのビールと比べると香りが立って個性がはっきりとして多種多様であること。そこで飲み比べが楽しい。
コロナ禍の前に開催されていた「ビアフェス」はどこも盛況で、集まる人々の多くは20代、30代の男女であった。クラフトビールとは酔っ払うための飲み物ではなくし好品なのである。
これがある場所に愛好者は目的を持ってやってきて、そこにはコミュニティができていく。――これらがクラフトビール人気についての筆者の認識だ。
現在の「ブルワリーパブ現象」は、事業再構築補助金の制度が大きく後押ししている。当人もクラフトビール愛好者である飲食事業者が、自分でオリジナルのビールをつくりたいと思っていてもこの設備投資に金額がかかることで二の足を踏んでいた。これが新制度を活用することで夢が実現するということだ。
コロナ禍で誕生したブルワリーパブの事例をたどりながら、飲食業の変化の状況を紹介しよう。
ブルワリーパブの草分けはいまや指導者
ブルワリーパブの草分け的存在はライナ株式会社(本社/東京都台東区、代表/小川雅弘)である。同社代表の小川氏は81年5月生まれ。大阪で飲食業を展開していたが、東京でビジネスを行おうと東京に移住し飲食店の展開を始めた。これが07年のこと。

クラフトビールの存在を知り、この類の飲食店に通うようになり、好きが高じて自身でもクラフトビールレストランを立ち上げた。これが13年新宿御苑近くにオープンした「VECTOR BEER」。さらにこの店の近くに店舗を構えてIPA(スタイル=種類の一種)専門のクラフトビールレストランにして、その店の一角にブルワリーを開設した。
このブルワリーは1年足らずに生産量が足りなくなった。そこで17年12月、現在の拠点となる浅草橋にブルワリーと本社機能を設けた。生産量は年間10万ℓとなったが、当時同社のクラフトビールレストランは8店舗あって、これらで使い切っていた。現在同社の飲食店は16店舗あり、うちクラフトビールを提供する店は6店舗となっている。


現在同社で生産しているクラフトビールは同社の店舗だけではなく他の事業者にも卸している。このうち飲食店は約30店舗、その他酒販店やコンビニチェーン、またリカーショップなど約30店舗の小売店に卸している。
同社で生産するクラフトビールの自社消費と他社へ卸している量の比率は、コロナ前は7対3、コロナになってからは3対7となっている。この背景には、コロナ禍によって自社の飲食店の稼働日数が減ったことと「これから新規に工場をつくって、生産体制を強化するために外販を強くしていこうと考えたから」(小川氏)とのことだ。

そして、同社ではビール醸造家の育成、醸造所のプラント計画立案、醸造機器の導入・設置というクラフトビール醸造にかかわるトータルなコンサルティングを行っている。コロナ禍の最中にあってこれらの依頼が増えるようになり十数件の案件が同時に進行している。
新規事業が「街のビール屋さん」
ライナの小川氏と似たようなポジションにあるのが株式会社SAKE-YA JAPAN取締役の能村夏丘氏。10年に株式会社麦酒企画を立ち上げ、ブルワリーパブやクラフトビールレストランを展開してきた。18年1月に業務用酒販店の株式会社柴田屋酒店(本社/東京都中野区、代表/柴田泰宏)の傘下となり、現在の社名に商号変更した。

能村氏のクラフトビール事業のスタートは10年12月に高円寺麦酒工房を立ち上げたこと。18坪33席の店で、うち3坪をブルワリーに充てた。オープンしてにわかに客数が安定してきて11年のゴールデンウイークに人気が跳ねた。日曜日には30万円を売上げた。この年のビール製造量は2万ℓ、全量この店で使い切っていた。

この年の夏ごろから「自分も醸造家になりたいです」と、門を叩く若者たちが訪れるようになった。来店客の住まいも「船橋」「柏」とか、高円寺までJRを1時間30分ほど乗り継いでやってきた。
そこで能村氏がひらめいたことは「街のビール屋さん」ということ。「お客さんは目的来店でいっぱいなのだから、自分が住んでいる街に一軒、ふらりと立ち寄る『街のビール屋さん』があると楽しいのでは」と考えた。そこで12年7月阿佐ヶ谷に出店、その後、荻窪、中野と展開した。
さて、柴田屋酒店ではワインと日本酒の販売力を強化し、業界団体や資格制度をつくるなど積極的に展開。ビールにも着眼するようになり、「街のビール屋さん」の展開を進める能村氏にそのノウハウを求めてSAKE-YA JAPANを設立した。
同社では麦酒企画時代から展開しているビール工房業態に加え、「SAKA-YA」というブランドでブルワリーパプと酒販店を合体したハイブリッド業態を展開している。酒販店で購入したワインや日本酒などは抜栓してブルーパブの中で飲むことができる。20年11月に20坪の西荻店(東京都杉並区)をオープン。21年4月に60坪の喜多見店(東京都狛江市)をオープンした


クラフトビール事業を街の人が応援
SAKE-YA JAPANのビール工房業態ではブルワリーパブの開業と運営の支援を行うようになった。
ブルワリーパブの開業と運営に際して事業者が向き合うことになるポイントには、税務署との関係性、ブルワリーの設備関連、ブルワリーができてからは原材料の仕入れ。ビールの樽の洗浄といったことが挙げられる。
同社が行うブルワリーパブ支援とは、これらの流れに即している。まず、税務署に醸造免許申請するために必要となるさまざまな書類を準備し作成。ブルワリーのレイアウトやつくり込み。大きな袋に入った原材料を小分けにして届ける。ビール樽の洗浄、等々。開業を検討している事業者に向けて、開業に向けたセミナーを月2回程度開催している。
この支援事業を活用してブルワリーパブを運営している事例に東京・上野の「シノバズブルワリーひつじあいす」が挙げられる。同店は上野エリアにドミナント展開する長岡商事株式会社(本社/東京都台東区、代表/前川弘美)が21年12月17日オープン。同社は先代が昭和38年(63年)に創業。82年に本店となる4階建てのビルを設けて和食居酒屋を営業していた。今回のブルワリーパブはこのビルの中に出店した。

本店である和食居酒屋をブルワリーパブに切り替えた理由について、代表の前川氏はこう語る。
「今回のコロナ禍で上野仲町通りが中心となるイベントをさまざま実践してきた。その一環でオリジナルクラフトビールもSAKA-YAさんにつくってもらった。これがきっかけとなり、街の人々からも背中を押してくれてブルワリーパブを開業することができた」
このブルワリーパブも「街の人々からの応援」が大きなポイントである。能村氏が10年に初めてブルワリーパブを開業した「街のビール屋さん」の思いは、クラフトビール事業を推進する中で脈々と受け継がれている。


ハッピーな飲食業を著しく速く具現化
株式会社okéy(本社/東京都港区、代表/片寄雄啓)では東京・新橋でドミナント展開を行っていたが、リモートワークが進むことで顧客が激減。その対策として進めたのが、住宅街立地にシフトすることと、新業態の開発である。
21年2月に東京・月島、8月小田急線の豪徳寺駅前(東京都世田谷区)、そして10月、JR日暮里駅から徒歩5分程度の場所(東京都荒川区)に店をオープンした。日暮里の店は「OKEI BREWERY」(オケイ・ブルワリー)というブルワリーパブである。

物件は元自動車工場で30坪、うち5坪でパブを営業。25坪のスペースはブルワリーで500ℓのタンクを6基備えて月産5000ℓの生産が可能となる。この施設には5000万円を投じた。
代表の片寄氏は「クラフトビールを手掛けてみて驚いたことは、根強いファンが多いこと。オープンして1カ月もたたないうちに1日150~200人が来店するようになった。インスタグラムのフォロワーは5000人に近い」と語る。

川崎・溝の口を中心に14店舗を展開する株式会社ローカルダイニング(本社/神奈川県川崎市、代表/榊原浩二氏)では、この5月東急田園都市線高津駅近くに「みぞのくち醸造所」をオープンした。元NTTのビルがリノベーションした1階27坪の中に13坪の醸造所を開設、600ℓの発酵・貯酒タンクを5本設置、月4000ℓの製造を可能にした。当初は醸造所のみを想定していたが、顧客との接点をつくろうと飲食スペースを設けてブルワリーパブとした。

ここでは同社が通販で販売している冷凍ピザやさまざまなクラフトビールも販売していて小売部門も充実させている。代表の榊原氏は「想像以上に、クラフトビールに対する需要の高さを感じる。当社は溝の口(=隣の駅)に店が多いことから、その顧客がやってきてくださり応援の声をいただいている」と語る。
同社では畑も営んでいて、ここでの産品を使用したビールを製造することも想定している。同社の事業規模は大きなものではないが、自社の中で生産、製造、販売と6次化がなされ、かつ顧客との接点を厚いものにしている。

コロナ禍は多くの飲食業に甚大な影響を及ぼした。しかしながら、困窮する中で「自店が本質的に求めているもの」を、それぞれが深く考える機会をもたらした。それはリピーターのある世界、類は友を呼び、コミュニティが形成される世界である。クラフトビールはまさにそのストーリーを具現化する存在。
コロナ禍の2年間で展開されたクラフトビールとブルワリーパブの活発な動向は、人々が潜在的に求めていたハッピーな飲食業の世界を著しい速さで現実のものにしてくれたと言えるだろう。