「おいしい感動体験」ができるコンテンツを創る ウジエスーパー 氏家良太郎社長
2025.10.14

目次
最南端の美田園店で「コンテンツ」を実験
ウジエスーパーは宮城県北部を地盤とするローカルチェーンのスーパーマーケット(SM)企業だ。創業は戦後間もない1947年にまでさかのぼる。この間、80年弱に渡って店舗網をじわじわ拡大してきた。現在では32店の業容となっている。昨今では「価値訴求型スーパー」を目指すビジョンを掲げ、独自性のあるフォーマットの構築を目指すなど、「地域SMとしての成長戦略」を模索している。
創業家出身で2024年に3代目の社長に就任した氏家良太郎(うじえ・りょうたろう)社長に今後の方針を聞いた。
2025年2月期実績の年商は407億円。利益を含め、トレンドとしてはどうなのだろうか。
「増収増益でした。ただ、昨年の9月以降、販促の方針を変えたことによって厳しい状況が続いたこともあって増収幅より増益幅の方が大きかったですね。(前期は増収増益を確保できた一方で、)今期は新店をオープンしたので、利益の面で厳しくなると見込んでいます。
今期に入っても既存店売上高は良い状況が続いています。値上げの影響もあります」
値上げの影響もあって、ウジエスーパーに限らず、SM各社は「トップライン」の売上高は比較的堅調。一方で、人件費などの経費が高騰していることから大きな減益圧力に見舞われている側面もある。また、出店に関しては、建築コストの高騰が顕著だ。
「(経費が)年々上がっていくので、それをどうカバーしていくかというところです。どう生産性を上げるか。そこしかないみたいな感じですね。(新店の)建築は全体として、かかっています。ずいぶん前から仕込んでいましたが、建築の納期が延びました。延びたことでさらに値段も上がりました」
今期オープンした新店はどんな店なのか。
「ウジエスーパーとして最南端の店として5月23日にオープンした美田園店(宮城県名取市)です。売場は約700坪で、力が入ったお店です。新店は吉岡店(宮城県大和町)以来、6年ぶりでした。
今回、広域型にしていまして、レイアウト的にはデリカ(惣菜、ベーカリー)、青果から始まるようにしています。その次には、通常は鮮魚が来るのですが、今回は競合状況を加味して精肉にするレイアウトにしました。それで残りをドライグロサリー、日配にした広域フォーマットになっています。
デリカと青果から始まるレイアウトは、居抜き店舗では試したことがありますが、それほどうまくいかなかったんです。ただ、そのお店は売場の坪数も500坪ないぐらいの居抜き物件で、エリアとしても宮城県の真ん中で人口も少ないところでしたので、あまり参考にならないと考え、もう1回チャレンジしました。
結果、デリカに関してはだいぶ(売上高)構成比が上がっています。デリカを突出して強化した店ではありますが、構成比で18%になっています。これは全社でも一番高いです。
逆に青果が『裏』になるような形なので、想定の構成比に至っていないところが反省点ですが、われわれのようなローカル(企業)は相乗積で考えると、そこ(デリカ)を強化しないと生き残れないと思っています」
「価値訴求型スーパー」の最新の形を具現化したのが美田園店ということになるだろうか。その具体的な中身はどのようなものになるのか。
「私の言葉でいうと『コンテンツ』を創っていって、それが当たれば次の段階に行くという考え方です。いまは美田園店で実験中という段階です。手を広げすぎず、着実に進めていきたいという意識を持っています」
つまり、部分、部分で新しい取り組みを実験し、成功すれば進化させ、そうでない場合はやめるという非常に慎重なやり方ということになるだろうか。そう考えると新店もやはり、数年に1店といったペースとなるか。
「いいお話があればぜひ、とは思いますが、無理して出すリソースがありません。やはり、手堅くいきたいという感じです。むしろ、既存店について、改装してもペイできるのかという問題を考えなければいけません」
特に昨今は前述のように建築コストの高騰が続く。30店強、年商400億円強の企業にとっては数年に1店の出店になってしまうのもやむを得ないだろう。人口減少がより激しく進む地方においては、出店立地として適した場所もかなり少なくなっている。
氏家社長が言うように、むしろ、今後、焦点になるのは既存店だ。ウジエスーパーには、標準店の「ウジエスーパー」フォーマットの他に、「Uマート」や「鮮マート」「クリエみうら」といったフォーマットがある。これらの関係はどのようなもので、今後、どのような位置づけになっていくのか。
「『Uマート』は、どちらかというと(かつて)ジャスコ(現・イオン)やイトーヨーカドーのような総合スーパー(GMS)が出店したときに、それに対して150坪程度でどう対抗するかということを踏まえ、『違う業態をやろう』ということで、祖父(創業者)が手がけたものです。
当時は、Uマートでも(年間)30億円を売る時代もありました。それがだんだん、競合店が500坪、600坪主体になっていくと競争力が落ちてきました。ただ、地域のインフラにはなり得るので、また、創業の思いもあって営業を継続しています。
『鮮マート』については、地域のインフラになっていた小型店舗についてEDLP(エブリデーロープライス)的なやり方を根幹として展開(し、活性化)する実験をしているものです。実際、収益確保が難しくなってきた店でも、地域のお客さまがいらっしゃるので、そんな簡単に閉店するという話にはなりません。ただ、仙台(のような都市部)ではなく県北でやったこともあって現状では採算の確保が難しい状況ではありますが、地域の皆さまに支えられながら営業を続けています。なかなか厳しいですね。
『クリエみうら』については、もともと別の企業が2店舗を展開されていたのですが、気仙沼の震災の影響もあって(営業が厳しくなり)、われわれも気仙沼に出店できていなかったこと、また、同じ震災を経験している身としては他人事とは思えない、親和性があるということで(M&A、企業の合併、買収で)引き受けたものです。地域のお客さまのためにも、看板は残したいということで残している形です。
各店舗、それぞれ事情がありますが今後の出店はウジエスーパー1本でやっていきます」
地域に実際にお客がいることを考えると、たとえ容易ではない状況になってきたとしても、地域に根差す企業としては何とか店を存続させる方法がないかを模索するのは当然のことだ。
一方で、営利企業としては当然、限界もある。立地が移動する中にあっては閉店を検討することも必要になってくる。特に人口減少が激しい地方ではそれが先んじて表面化している。
「一昨年、1店、設備的に老朽化し、従業員、お客さまにもご迷惑をかけてしまいかねない店舗について、改装をしても回収が見込めないということで地域の皆さまのご理解をいただきながら役割を終えました。その際は、丁寧に地域とのコミュニケーションをしながら、ご理解いただかないといけません」
M&Aについてのスタンスはどのようなものか。
「積極的に情報を収集しているわけではないですが、視野には入れたいです。どちらかと言うと、例えば(店舗の)増設ができないので親和性があるとか、物流でうまく組めるところがないかとか、そういう情報はむしろ求めているところです」

20%値下げのクーポンをやめる決断、数字悪化で社内に熱い議論、変革の転機に
SMに関しては一本化の方向性の一方で、マーケットとして有望で、注力してもいるデリカに関して専門店フォーマットを開発する動きもある。
「18年に(仙台駅の駅ビルである)S-PAL仙台の地下1階に『ウチノキッチン』というデリカの専門店を(子会社のウジエデリカを通じて)出店しましたが、残念ながら20年に撤退しました。ただ、得たものは大きかったです。スーパーの延長線上の惣菜でやるのは難しく、課題がより明確になった。といったことです。今後もこうした新フォーマットは模索していきます」
その意味では、現在の「価値訴求型スーパー」は、新フォーマットの「コンテンツ」を模索する動きも1つといえる。今後のSM像をどう描く。
「変えない部分は、もともとミッションとしてある『食を通して社会に貢献』すること。その中にコンセプト的なものとして『価値訴求型スーパー』があります。われわれ(経営陣)も若返っていることもあって、もう1回、コーポレート・アイデンティティ、ウジエスーパーらしさをアップデートしようということで、いわゆる『パーパス』として、『おいしい感動体験』を定めました。
実際に、新しいチャレンジの美田園店は『おいしい感動体験』の考え方でのフォーマットにしましたし、仙南(仙台市より南に位置する地域)では新参者ですが、その中でも手応えを感じています。やはり、やってきていること、今後、どうやってお客さまにご支持をいただきたいかというところは、『おいしい感動体験』が基になります。その上で、『誰かに話したくなる』という要素も掲げています。
そして、ビジョンとしては『日常の小さな幸せを、ウジエから』に決め、いまからやっていきます」
デリカだけでなく、改めて「生鮮」も強化している。
「それこそ原点回帰かもしれないですが、もともとそういう自負でやってきました。冒頭でも言いましたが、去年の9月からクーポンなど強い販促をやめたことで一気に客数が下がったのですが、そこでもう1回、青果にしっかり取り組んだりする中で、『うちの強みって、そこだよね』というところを全面に押し出しました。
『チャレンジしてみよう』ということで、数カ月やってみたところ、クーポンがなくても徐々に客数は回復傾向になってきたということで、ちょっと手応えを感じました。そういった実績を基にパーパス、ビジョンをみんなで決めたという感じですね」
昨年9月に販促を変えたのにはきっかけがあるのか。
「ありました。『20%』(値下げ)といった過激なクーポンをやっていまして、『いつやめるんだろう』という思いが、もともとありました。
当時、われわれとしては0.03%ポイントぐらいの年々の人件費率の増加を想定していましたが、政権の『最低賃金1500円を目指す』という話が盛り上がったこともあって、24年に最低賃金が一気に上がりました(24年は宮城県で50円の引き上げ、25年には65円の引き上げとなった)。『これは業界に大きな影響を与えかねないことになってしまうな』という認識の下に、これ(クーポン)をやめようと話になりました。売上が下がるという覚悟もありましたが、ここでやめることを決断しました。
やめた当初は、物価高の影響や年末前の売上の高まりに紛れていましたが、年明けに影響が一気に顕在化しました。客数と客単価が両方落ちてしまいました。数字が落ちたことで、社内でもさまざまな意見や議論が生まれました。
20%クーポンは平日対策の一環ですが、月間でみるとその20%の部分だけでも数千万円となります。そのクーポンの部分をウジエスーパーとして構造的に強いところでカバーするということで、特に生鮮にあてました。生鮮をもう1回強化していくという方針です。
この、原点を見直すことについては、布石もありました。実は、19年ぐらいはどん底といえる状況でした。美田園店の前にオープンした吉岡店が想定の半分の年商規模に陥る事態だったのです。
『ジリ貧で、どうやっても投資が回収できない。一番の旗艦店(の位置づけ)にもかかわらず』という現実を前に、1回、われわれとしても新店をストップしました。それを立て直すというのが、ここ数年かけてやってきたことで、それこそ、もう1回、青果の鮮度を上げるといったことなどがそれに当たります。
当時の吉岡店は1日の客数が1400人~1500人と少なかったのですが、競合店には2000人ほどの客数があった。そこで『それ(2000人)に合わせて青果を売ろう』と取り組むことにしました。当然、ロスが出て、『このロス、どうしようか』となるのですが、それでまた、売り減らしたらお客さまの支持を得られない。このジレンマについて、『ロスを価値に変えよう』ということに本気で取り組んで、いろいろ、みんなで話し合いました。
それで、『まずは旬のある果物。果物をおいしい状態でスムージーにしよう』とかそういったことに取り組むことになりました。このスムージーも、それで儲けを出そうということではなく、どちらかというとお客さまに味を知ってもらうことを目的にしました。そうしたことをやっていくうちに、だんだんお客さまも増えていきました。
メディアともお話をする中で、地元のタウン誌と取り組むといったこともしました。それで他のメディアにも載ったりする中で、そこから少し状況が変わり始め、青果だけでない他の部門の取り組みなどもいろいろやりながら、いまは着実に成果が表れています。ウジエスーパーの強さが、少しずつ分かってきたのかなと思っています」
そうした布石を踏まえた上での生鮮強化とクーポンの廃止である。
「(クーポンをやめたショックから立ち直る際も)吉岡店で布石としてずっとやってきたことが、『お客さまに喜んでいただけるのは、やはりそこなんじゃないの』ということがありました。
新店の美田園店もそうですが、どちらかというと同店はデリカ強化のため、生鮮の取り組みは既存店の方がより成果が出ています。スムージーは既存店の7店舗で展開しています」
美田園店はこれからの旗艦店になっていくのか。
「もともとチャレンジをしたかったことについては、道半ばではありますが、少しずつ体現しつつあると思います。メガトレンドである、『食材を買っていただける場から、食事そのものを買えるという中食、さらにそこから食事もできる』という部分の取り組みです。
その『食事ができる』ということで儲けるということではなくて、やはり、『一押し』や『旬』のものを、その食事ができるところで食べてもらいたい。『究極の試食』ではないですが、そういった演出をしたいと思っています」
「食事」の機能提供という意味では飲食店の機能を包含するグローサラント(グロサリーストアとレストランの合成語)を展開することも視野にあるのか。
「一部、美田園店で展開しています。今日の一押しの味付け肉を『定食で提供する』といったことです。発想としては、例えば売り込み商品の果物が余ったとき、値引きして売るという『ロス率』で考えるのではなく、それをスムージーにしてしまうというのがスタートです。値引きするぐらいだったら加工して付加価値を付けて買ってもらおうということです。
一押し商品に付加価値を付けて売り、お客さまに『おいしい』と言っていただいたら、『これはこの売場にありますよ』というのが究極の試食です。(デリカ部門を担う)ウジエデリカには外食出身の開発プロデューサーを置いていまして、メニュー開発には強みを持っていると思います」

自前のインフラで「自社商品」を製造、外販も視野に
惣菜子会社としてウジエデリカを分社化している。かつてのヨークベニマルやヤオコーのように惣菜を別会社で展開している企業も少なくないが、一方で昨今はこの2社のように統合する動きもある。ウジエスーパーとしては組織体についてはどう考えるのか。
「いまのところは(別会社で)機能しています。分社化していますが、部門横断についてもできているように思います。食材のやり取りはスムーズにできています。振り替えも、原料の供給や共同の買い付けもかなりスムーズで、横の連携が取れています。
吉岡店オープンのころから改革として、『部門横断』と言い続けてきました。そこが少しずつ、できてきていると思っています」
デリカと生鮮の強化の一方で、価格が重要になる加工食品についてはどう考えるのか。加盟するボランタリーチェーンのCGC商品の活用、さらに踏み込んでプライベートブランド(PB)についての方針はどのようなものか。
「CGC商品は活用できていると思いますし、もっともっと売らないといけないとも思いながら活用しています。
PBについては、それこそPBなのか、ローカルブランド(LB)なのか、ダブルチョップなのかといったところ(あいまいさ)がありますので、私の言葉で言えば、『自社商品』にしていくことをやっていきたい。
コンセプトは絶対必要だと思いますが、どういう風に『ブランド』を付けるかはあまり意識していません。スケールする会社にいると、PBはものすごいスケールの大きな話になりますが、ウジエスーパーだと『ただの留め型だよね』といった形になってしまいます。
そういった意味では、『PB』(と堅苦しく考えること)ではなくて、『自分たちお店で売れている商品を自社で作れないか』といった方向に力を入れようとしているところです。いまでも例えばアップルパイがあります。デリカで製造して、日配でも売ったりしています。
他にもプリンなどカップスイーツ系は日配の売上げにしています。プリンはウジエデリカが日配部門に卸しているものですが、生鮮のセントラルキッチンで作っています。そこでは午前中、魚の仕事をして、午後にプリンをつくったりしています。それぐらい横の連携ができています(笑い)。これができるところは少ないと思います。
NBのA商品はもちろん、置きますし、ローカルスーパーなので、LBはやはり強くしていきたい。また、CGC商品はディスカウントで戦わなければいけない。この中で、NBのA商品を自社製品に持っていきたいということです。ただ、メーカーの留め型では大手に勝てません。それで、自分たちで製造するということです。
いまのところパーツとして強いものとしてプリンがありますし、他には自社製麵などもあります。特に麺はかなり可能性があると思います」
ウジエデリカの製造設備を使って、「自社商品」を作る。メーカーへの製造委託ではないところに特徴がある。
「そうです。逆に言えば、それを他社に買っていただくといったことも考えています」
同時に、プロセスセンターなど店への供給機能の活用度も上がっている。
「上がっていますね。精肉は牛肉の一部を除いて9割を超える比率まで来ています。逆に言えば、もっと付加価値を付けられるかが課題になっています。生産性も上がっています。
キャパシティ面でも、精肉センターはもともと年商500億円を設定して建てているので、まだ大丈夫です」
生産性という意味では、SM業界全体では人件費が上がる中、人時の割合の高い「レジ」についてセルフサービス化を進める動きがある。
「セルフ化は進んでいますし、キャッシュレス比率も少しずつ上がってきています。レジについては、いまセミセルフを置いていますが、イメージでいうとセミセルフを2台置いて、それ以外をほぼ(フル)セルフにしていっているところです。ただ、キャッシュレスについては、現金について時代としてどう向かっていくかが不透明な部分もあって、社内で議論しています」
「おいしい感動体験」をワクワクしながら追求する
フォーマットを模索しつつ、出店だけでない、商品軸でのビジネスの拡大を視野に入れる氏家社長。経営において重視している数値は何か。
「客数ですね。いま回復しつつあるという段階です。景況は悪くないですので、改革の成果を出していきます」
チェーンストアの努力の方向は客数を増やすことに向かうべきとされる。日本全体では商圏人口が減少していく中で客数を増やすためには、出店に加え、グローサラントなどさまざまな取り組みによってその「シェア」を追求していくことが求められる。改革の成果を客数増という形で追求する創業家出身の若きリーダーは、今後のウジエスーパーの中長期の戦略を担っていくことになる。
家業であるローカルSMというビジネスを継ぐことにはどのような思いがあったのか。
「もともと私は家業を継ぐことは考えておらず、東京の営業会社に勤めていました。そこで社会人として鍛えられていたのですが、5年間ほど経ったころ(2011年3月11日)、東日本大震災が起こりました。それを機に父に頭を下げて、『手伝わせてください』と言い、入社しました。
当時、東京にいましたが、父にも連絡がつかない状況に陥ったときに、『あれ?』と思い、自分の中で心変わりがあったことを覚えています。改めて、(SMの)インフラとしての重要性を認識しました。
その後、修行として2年間、他社(SM)でお世話になり、小売りを惣菜担当として学びました。新入社員として入り、(再度)一から研修を受けました(笑い)が、そこで小売業の良さを感じました。営業会社時代は新規営業だけを担当していたのですが、毎回電話をかけ、アポイントを取るのが大変でした。しかし、小売りの場合は、よほど悪くしない限り、ある程度の客数が来るという商売で、ものすごくチャンスがあると思いました。来てくださっているお客さまにどう喜んでいただけるか、アップセルできるか、こういうことがものすごく楽しいと思いました。
あとはやはり、新規営業は『売ったら終わり』ですが、小売りの場合は、仕入先を川上にさかのぼればさかのぼるほど世の中には出ていない情報があったり、取引先の義を感じるといった『手触り感』があったりと、いっしょにお客さまを創っていくみたいな、地に足が付いた感じの商売が楽しいなと思いました。
それで2014年にウジエスーパーに戻ってきて、総務やデリカを担当し、いまに至ります」
一方で、日本は少子高齢化が進む中、人口減に突入している上、ウジエスーパーが地盤とする東北地方は全国的に見ても少子高齢化と人口減少がより進んでいるとされる。かつてのような成長期とは異なる商環境にあることは確かだ。
経済的には縮小傾向に向かう中、店舗など「築いてきたもの」をどう維持するか、その上でどのようにビジネスを発展させていくかが問われている。まさに「逆回転」のような状況でのビジネスである。
「逆回転ですからね。そんなに甘くないと思います。新入社員には『3人のレンガ職人』(ビジネスで良く用いられる寓話)の話をしています。3人のレンガ職人がいて、1人目は言われたからレンガ積んでいるだけ、2人目はお金のためにやっている、そして3人目は教会を造るためにやっていると答えたという話ですが、この2人目と3人目の『間』ぐらいをやってもらいたいと思っています。お金のためでもありつつ、教会を造るといった形で、目的も持つということですね。
ウジエスーパーで言えば、『食材を提供』『食事を提供』『食事ができる』みたいなところで、新しい業態になり得る、新しいファンづくりにつながるところで、どんなコンテンツが生まれるか(に今後のビジネスの方向性が向かっていく)。道半ばですが、ちょっとワクワクしますよね。このワクワクがあるかないかが重要で、ワクワクがあることによって大きく変わって来るのではないかと思っています。
ビジョンにも掲げているのですが、一般的には生涯8万回ぐらいあるとされる食事について、その中には友人といっしょだったり、誰かの誕生日だったりといった何らかのイベントがあると思うのですが、その中で『小さな幸せ』を感じられるようなものを提供することを目指しています。
パーパスの『おいしい感動体験』にもつながるのですが、メニューを決めていないお客さまが大体7割いらっしゃると言われている中、例えば『今日もカレーか、シチューかな』といった感じで商品を選ぼうと思っていたら、鮮魚でおもしろそうな商品を売っているから『やっぱり今日は海鮮鍋にしてみようかな』といった選択も、また体験と捉えたい。
そういったものが生み出せれば、『箱(店の形)』が違っても、何かしら業態が変わっても(ビジネスの考え方は)いっしょなんじゃないかなというところがあります」
全国各地で商圏人口が減る中で「小商圏化」が進み、局所的にはまさに「どこまで耐えられるか」といった形の商売が続いている。しかも、仮に閉店という決断をせざるを得ない状況にあったとしても、地域のインフラとして存続が求められるなど、その影響が大きいだけに、さまざまな問題が浮上する。
「逆回転」の時代のローカルSMとして、どのようにバランスを取りながら成長戦略を描くか。これはウジエスーパーに限ったことではないが、まさにいま、ローカルSMにこそイノベーションが求められている。










